市川 直 先生のこと

  現状打破、向上心   山上 山あり   好奇心、新しもの好き、生涯勉強 これは、今年6月1日(私の誕生日)に、 89歳で亡くなられた市川先生の生き様と 私の信条をダブらせたキーワードです。 先生は1913年(大正2年)のお生まれで、 三菱自動車の常務、オーストラリア三菱の 社長などを歴任されました。 また、三菱自動車の生産管理システムの嚆矢として活躍された方 です。 市川先生との出会いは1988年、先生74歳の時、小生44歳 のときで私が会社で生産管理システムを全面的に更新するプロジ ェクトの責任者に任命された際、上司から紹介されました。 この時、改革の考え方、コンセプトなど生産管理に関すること以 外についても、多くの知識や心構えをご教示いただきました。 このとき教えていただいたワークデザインの考え方、上流志向、 Garbage in garbage out、バイアスの排除といった概念は今も頭 に鮮明に焼き付いています。 爾来15年間、小生がシステム部門を離れた後もかわいがって頂 き、最近は年数回昼食をご一緒し、政治・経済・経営・芸術など 多岐にわたるお話を伺ってきました。 先生は痩躯鶴の如しと言う表現がぴったりのお方でしたが、大変 お元気で、お亡くなりになる直前まで電車を利用され千葉の市川 から都心まで、杖も使わずお出でになっていました。 生涯頭脳明晰で、読書家でいらっしゃいましたが、いつも頂くリ ポートやお手紙を解読するのに四苦八苦しておりました。 ご存命中にはとても申し上げられませんでしたが、達筆と言うか 縦書きのアラビア語みたいなものでパズルを解く心境でした。 何しろ読み解くのが難しく、かなり想像力を発揮しあてずっぽう で読むこともたびたびありました。 お手紙を頂いた後、あの件はどう思いますかと尋ねられるとドキ ッとすることもしばしばでした。 毎年、経済白書のサマリーをいただきましたが、白書を読む習慣 なぞない凡夫には意見を求められるとムムムム??*@? 大所高所からの政治提言についても、ごもっともですが・・・・ と先生からご覧になると全く次元の低い輩でしかありませんでし たが、それでも委細かまわず?お付き合いくださり、汗顔の至り でした。 84歳ごろでしたか、解読に難儀していた小生は先生にパソコン をお使いになるようお勧めしました。無理だと思いながら無責任 にお勧めしたわけですが、悪戦苦闘されながらも、パソコンで作 られたお手紙を頂くことができました。 この間、キーボードはこの歳では難しいからと音声入力にも挑戦 されましたが、パソコンの認識能力が先生のご期待に副えず大変 な苦労をされてしまいました。 メーカーの名誉のために申し添えますが、先生の音声を認識でき れば、『究極の音声入力完成!』と宣伝しても良いでしょう。 吉田さん僕はパソコンは落第生だねとおっしゃられていましたが スーパーおじいさんには、多少の罪悪感を感じつつすっかり脱帽 いたしました。 僕は学者じゃない、実務家だとおっしゃるのが口癖でしたが、学 者でも実務家でも一流の方であったと思います。 最近では「老人六歌仙」なるものを紹介していただきました。 1. 皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる    腰曲がる 頭はげる ひげ白くなる 2. 手は震う 足はよろつく 歯は抜ける   耳は聞こえず 目は疎(うと)くなる 3. 身に添うは 頭巾 襟巻 杖 眼鏡    たんぽ 温石 尿瓶(しびん) 孫の手 4. 聞きたがる 死にともながる 淋しがる   心は曲がる 欲深くなる 5. くどくなる 気短くなる 愚痴になる   出しゃばりたがる 世話焼きたがる 6. またしても 同じ話に 子を褒める   達者自慢に 人は嫌がる 歳をとると皆多かれ少なかれこうなってしまうのは仕方がないけ どなるべくそうならないよう、自戒して生きていかねばとおっし ゃっておられましたが、わが身を振り返り、自身の年齢とこれか らの生き方を考えさせられました。 先生の私に対する最後のお言葉は「patience」と「反省」でした。 市川先生にお会いできた僥倖に感謝し、先生のご冥福をお祈りい たします。
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